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株式会社アバンティ https://avantijapan.co.jp/渡邊 智惠子 さん

株式会社アバンティ

北海道斜里郡出身。1975年に明治大学商学部を卒業後、株式会社タスコジャパンに入社。1983年、同社取締役副社長。1985年、株式会社アバンティを設立し、代表取締役社長に就任。オーガニックコットン(無農薬有機栽培綿)の原綿輸入から、糸・生地・製品の企画、製造、販売まで手がけ、日本だけでなく世界に「オーガニックコットン」製品の市場を広げる。2009年、経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010」リーダー部門受賞。2010年、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演。2012年、米国テキサスにおいてGold hoe awardを受賞。2016年には新たなソーシャルビジネスとして一般財団法人「森から海へ」を設立し、代表理事に就任。

---オーガニックコットンとの出合いはいつですか?

1990年のことです。当時勤めていたタスコジャパンという会社では、日本製の光学機器を海外へ輸出する仕事をしていたのね。そのときに知り合ったイギリス人のエコロジストから、「オーガニックコットンの生地を日本へ輸入してほしい」と頼まれたんです。そのころの日本では「有機」とか「無農薬」なんて言葉も一般的ではなかったし、まして「オーガニックコットン」なんて誰も知らない時代。私自身、繊維なんて全くの素人、織物とニットの違いもわからないくらいだったんだけど、貿易の仕事をしていたから、あまり抵抗なく「じゃあ日本で売ります」って(笑)。それがすべての始まりでした。

---その後、オーガニックコットンを専門に扱う「アバンティ」を立ち上げられました。

日本は何百年も繊維産業で栄えてきた国ですから、昔からの慣習や業者さんのルールも厳しくてね。
「オーガニックコットン」なんて新しいものをなかなか受け入れてもらえない。まして素人の女が簡単に飛び込める業界じゃありませんでした。

だけどアメリカ(テキサス)の生産者が農薬や化学肥料を使わず、手間ひまをかけて綿を育てている畑を見に行ったり、素材としての素晴らしさを知るうちに「これをもっと世の中に広めなきゃ!」と思ったの。それで繊維業界の色々な方に声をかけて1993年に「日本テキサスオーガニックコットン協会」を作りました。
この協会では原綿の生産から糸や布、最終的な製品まで統一の製造ルールを定めて、「この製品はきちんとルールに則ったオーガニックコットンですよ」という認証を出すんですね。それとオーガニックコットンを一般の人に普及・啓蒙する活動をしました。女性ってこういうとき強いのよ。自分がわからないこと、できないことは専門家に力を借りたり、一人じゃ難しいことは仲間を増やして実行するの、わりと苦にならないでしょ(笑)。
最初にこうした組織を立ち上げたことが、保守的な業界に新しいジャンルを開拓する大きな力になったと思っています。

 

※現「NPO法人日本オーガニックコットン協会(JOCA)」

---渡邊さんにとって、ソーシャルビジネスとは。

アバンティは東日本大震災の後、ソーシャル事業として被災地の女性の雇用創出を目的にした「東北グランマの仕事づくり」や、福島県の遊休農地や耕作放棄地を使った「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」を立ち上げました。小諸市の「小諸エコビレッジ」では無農薬・有機栽培の農産物を生産したり、地域交流のためのマルシェや子ども向けの「わくわく のびのび えこども塾」なども開催しています。

ソーシャルビジネスっていうと「利益は出ない慈善事業」のようなイメージがあるでしょう。でもね、まずはお金を儲けなきゃやりたいことは実現できません。お金で愛情は買えないけれど、お金に自分の志や愛情を託すことはできるんです。

オーガニックコットンを扱い始めた頃、テキサスの生産者に「自分が綿を育てている土地は、神様から与えられたもの。だから化学肥料や農薬で汚さず、きれいな状態で次の世代に渡さなきゃいけない。それにオーガニックコットンは、普通の綿より数倍も高い値段で売れる。もちろん病気や不作のリスクもあるし、販路は自分で見つけなきゃならないけど、ビジネスとして成長する可能性があるんだ」と言われたんです。お金を儲けることと、社会的に意義ある活動は両立できるんだと教えられました。それから、自分たちで生み出した利益を「愛あるお金」として社会の中で活かすことが、私のビジネスの基本姿勢になりましたね。

オーガニックコットンをひろめることと、子どもたちにきれいな地球を残すこと。この二つを、生きがいである仕事で実現するのが、私の夢であり、力の源になっています。